俺がために筆を振る

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2016年8月道中記 その3

 寝る前に書いてないの思い出して、大急ぎで書いてるあそび人さんだよ。ようやく慣れたPCで書けるから、少し楽だね。ちなみに、たぶん投稿されてるのは翌日のお昼とかだよ。

 

 3日目の行程は大したことはない。朝食、朝風呂を済ませたのち、チェックアウトして宿を出る。米原の宿に泊まっていたが、行き先はすぐ近くの彦根だ。そしてそこに、この旅行の目的地がある。

 現存12天守の1つを持ち、先日の犬山城と同じく天守等を国宝とされている彦根城は、関ヶ原の大戦からさほど経たない1603年に築城がはじまり、22年に完成した。

 彦根といえば、赤備えで有名な井伊直政であるが、直政は1602年に、関ヶ原で島津の兵に負わされた傷が元で亡くなっているため、城は幼少の直政の子に代わり、家老の指揮で建てられている。

 彦根城を訪れた者達を圧倒するのは、その石垣と、天守に到達するまでの長さである。1603年以降の非常に大規模な戦といえば、大阪の陣くらいなものである。その後は天下泰平の世の中がやってくるというのに、彦根城はそんな時代を感じさせないほどに、防御設備に力が入れられている。これは徳川方が、依然として豊臣を警戒していた証であろう。

 城の防御設備と対照的に、風流とくつろぎを重視しているように思えるのが、表御殿である。これは後代になって復元されたものではあるが、様々な史料を参考に、かつての建物を忠実に再現している。大部分は博物館として利用されているが、藩主が生活した区画は、当時の姿を残すために、内装も復元している。落ち着きのある上品な内装に、美しい庭。城主たる藩主のプライベートスペースには、執務の疲れをいやすための工夫が所々に見られる。あの井伊直弼を含む彦根藩主達は、あの場所で一体どんな時を過ごしたのだろうか。

 表御殿の博物館には、中世史マニアと近世文化史マニアを喜ばす品が多数展示されている。南北朝期から江戸期までの鎧兜と刀剣にはじまり、能面や衣装、茶道具、楽器、絵画などを多数揃え、それらの背景にあるものなども丁寧に解説していた。もし彦根城に立ち寄ったなら、城だけで満足せず、ここで赤い鎧をみて帰ってほしい。

 城を見たあとは、城下で土産探しである。読者の大半を占めるであろう人々のために、私は土産を買わなければならない。しかし困ったことに、城下には和菓子くらいしかなかったりする。和菓子で長持ちするのなんて羊羹くらいなものだし、羊羹が分けるのがめんどくさい。方々探してみたが結局見つからず、米原まで戻って、そこで賞味期限に余裕のあるものを購入。自分がお土産受け取れると思っている人はまあそれなりに期待してればいいんじゃなかろうか。

 土産購入の後、15時58分発の東京行きで新横浜へ、そこから列車とバスを乗り継ぎ、19時半ごろに帰宅。2泊3日の近江・美濃・尾張旅行は、これにて終了した。

 

 基本的に私が行きたいところにいき、妹と父親(去年までは母。今年からは体調の都合で不参加)の意見はガン無視。それが我が家の旅行だよ。妹は歴史になんて一切興味ないしね。

 次回は、サバゲのことか、私の個人的な悩みごとについて書くんじゃないかな。