俺がために筆を振る

現役おっさんくさい保守的な大学生の執筆する供給しかねえブログ不定期更新中

honestyあるいは無駄な追求

 やあ諸君、1月も経ったからもうほとぼりもさめただろうってんで、また記事を書いてるあそび人さんだよ。今回は政治やら歴史やら思想やらじゃなくて、個人的な話に近いよ。

 

 炎上なんかどうでもよくなるような荒波が、あのあとやってきた。それはすでに過ぎ去り、今は落ち着いているが、後に残した被害はなお私や友人を蝕んでいるように思う。そしてまた、私は別の荒波の気配を複数方面より感じている。

 昨日、ビリー・ジョエルの「honesty」を聞いた。元々夜中にセンチメンタルになることの多い私は、ついに昨日涙した。彼の声にはそういう力がある。


Billy Joel - Honesty (Audio)


Billy Joel - Honesty (Live) Subtitulos Español

 

「誠実さとはなんだろうか」正確には違う言葉であったが、そんなことを私は考えていたように思う。いや、おそらく今も考えている。周りが悩み苦しむなかで、私はなにをするべきだろうか。その問いの先に出た答えは、自身のエゴではないのか。「pretty face」あるいは「pretty lies」ではないのか。

Honesty is such a lonely word

Everyone is so untrue

 なんと悲しい詞だろうか。日本人にこの歌が人気なのは、我々がやたら誠実を叫び求める民族だからかもしれない。誠実を第一としながらも、我々は本当の誠実に辿り着いていない。あるいは、辿り着くことができない。それでもそれを求めずにはいられないのだ。

 求めているのは、他人への誠実と自身への誠実の両方なのだろう。どちらかだけを求めている人はいない。もしそんな気がしても、それは片方が強くて、もう片方が目立たないだけなのだ。私は、他者への誠実に悩みながら、それにどこかで違和感を感じていた。その違和感の正体がわかった時、思わず涙したのである。その涙がどういう涙なのか、その涙が適切なものであったのかは、12時間経ったか経たないかの今ではまだわからない。

 誠実ほど虚しく、難解なものであるというのに、普段から求められるものも珍しい。記事を書いてそれを再認識したが、既に鬱になりかけている。

 

 これについて、私がなんか言っていい立場なのかはわからんけどね。

まあ最後になにか言うことがあるとすれば、みんなビリー・ジョエル聞けよってことくらいかな。