俺がために筆を振る

現役おっさんくさい保守的な大学生の執筆する供給しかねえブログ不定期更新中

たまには史学科らしい話題を

 自室のティッシュの替えがないことに気づき、いろいろできなくてちょっと気分的にあれなあそび人さんだよ。たぶん投稿されるのは7月26日だけど、書いてるのは前日だよ。

 

 第2次世界大戦においては、優秀で英雄的な軍人が、連合軍にも枢軸軍にも多く現れた。

山下、三川、栗林、小沢、パットン、ブラッドレー、ニミッツスプルーアンス、モントゴメリー、マウントバッテン、マンシュタイングデーリアンガーランドデーニッツジューコフ、コーネフ、チモシェンコ、ヴァシレフスキー・・・

日米英独ソから将軍を4人ずつ選んでも、ほんの一握りでしかない。また、伊仏中芬などの国家にも、当然英雄がいた。

 WW2参戦国の中で、祖国日本に次いで日本人に人気があるのは、おそらく第3帝国(所謂ナチスドイツ)だろう。優秀な将軍達と兵士、洗練された兵器、そして絶妙な中二具合が男心をくすぐってくる。白状するが、私も冬に向けて、武装親衛隊のコートでも買おうかと考えている。

 ドイツの人気の要因としては、やはり天才的な将軍たちが大きいだろう。先ほどあげた4人はほんの一部にすぎず、私でもあと5人は、ドイツ好きなら20人近くは出るのではないだろうか。そんなドイツ好きは、先ほどの4人に違和感を覚えたのではないだろうか。ガーランドよりも出そうな「あの人」の名前がないことに気づいているだろうか。今回は、その人の話を少ししたい。

 

1940年代初めの北アフリカには、一人の天才的ドイツ人がいた。彼の敵であったトミー(英軍兵)達は、畏怖の念をもって彼をこう呼んだ。

「Desert Fox(砂漠の狐)」と

イタリア救援のために送り込まれた彼は、少ない兵力をもってして、トミー達に一泡も二泡も吹かせ、最後は祖国に裏切られて死んだ。

彼の名はロンメル、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルである。

 

 と、まあかっこつけた紹介させてもらったが、そうである、ロンメルである。二次戦ドイツファンの多くが最初に好きになるであろう将軍で、まさに英雄といった感じの人。ドイツ軍人人気ランキングつくったら高確率でトップに輝く人、ロンメルである。私が最初にファンになったドイツ軍人で、3年かけて一周回ってまたファンになったロンメルである。

 なぜいきなりロンメルのことを書こうかと思ったのか。Twitterのフォロワー諸君の中にはお気づきの人もあるかもしれないが、本日(平成28年7月25日)この人の著書を買ったのである。自身、一次大戦を兵士として戦ったヒトラーも熱狂したという本書に出会ったのは、かれこれ2,3年程前。三省堂の戦史コーナーにポツンと一冊置いてあった本を見つけたときは興奮したものである。それからしばらく、買われはしまいか買われはしまいかとやきもきしていたが、なんとか私が購入することができた。これから、時間を見つけてはよんでいきたい。

 ロンメルの人気は、彼の戦果もそうであるが、その行動と性格によるところが大きいであろう。容貌や出自も少しは関係あるかもしれない。まず行動であるが、彼は現場第一主義的で、WW2の黄作戦・赤作戦(前者はベネルクス侵攻、後者はフランス本国侵攻)においては、常に最前線で作戦の指揮を執った。ロンメルの指揮車両が突出しすぎて、師団主力が置いて行かれることもあったという。この大胆でヒロイックな行動は、常に指揮官不在や指揮官戦死に繋がる危険性を孕んでいたが、ロンメルがいうところの「何が起きているか、兵士にさえわからない」電撃戦を行う指揮官としては、指揮官先頭精神はある程度必要であったのではなかろうか。

 ロンメルは騎士道精神の持ち主であったといわれる。敵兵の死者であっても丁重に扱い、ユダヤ人の虐殺も行わなかったという。これらは、悪名高い総統命令で強制されることもあったのだが、ロンメルはそれを無視していた。また、前線の兵士を自ら労って歩き、規律が乱れていたときは自ら叱責した。兵士に対するこの接し方により、彼らからは「俺たちの親父」と呼ばれていたという。

 英雄的で、上位者らしくしないものはやはり後世の人間にも好かれやすい。ロンメルは、所謂「英雄」の素質を多く持っていた。であるから、今日でもファンが多いのだ。わかりやすい戦果、わかりやすくかっこいい行動が多かったこともあるだろう。

 ロンメルの活躍は2次大戦のものばかり注目されるが、私は、1次大戦こそ彼にとって最も重要な時期であると考えている。本を買ったのも、その確認のためであるところが大きい。DAK(ドイツアフリカ軍団。北アフリカにてロンメルが率いた軍団。途中で現地イタリア軍も指揮下に入っている)のバイエルライン参謀長によれば、ロンメルは基本的には歩兵指揮官であり、機甲部隊の運用にもそれが表れているという。これはおそらく、WW1での、歩兵指揮官として経験によるのだろう。一般的に機甲部隊を用いた電撃戦の名手というイメージを持たれているというロンメルであるが、1940年までこの手の部隊を率いた経験はなかったし、ヒトラーの介入がなければ、第7装甲師団を任されることもなかっただろう。結果的に彼には適性があったわけであるが、根っからの歩兵屋であるロンメルの機甲部隊運用に、歩兵運用の特徴や癖が表れるのは別段おかしな話ではないだろう。その歩兵運用を身に着けたのは1次大戦であるから、ロンメルを理解するためには、1次大戦における彼の歩兵運用を理解していなければならない。

 

 さて、長々書いてきて、もうなんだかんだで2000字超えているため、ぼちぼち締めることにする。

 もしかしたら記事を読んでいて、どこか尻切れトンボな感じがあるように思った人があるかもしれない。たぶん、正解である。元々この記事は、ある種のプロローグみたいなものとして書いた。本当は、本を読み終わったあとに書評兼ロンメルに関するレポートとして書こうと考えていたのだが、なんか史学科らしいことを書かなきゃならんような気がしたために、完全なフライングだが試しに書いてみたのだ。結果として、このような中途半端な記事となってしまった。いつになるかはわからないが、いずれしっかりとした形のレポートを書きたいと考えているため、まあその手の話題が好きな人は待ってればいいんじゃないかな。

 個人的には、WW2よりWW1のほうが歴史的意義がでかいと考えている。日本ではやや影の薄い戦争であるが、100周年間でいろいろ本も出るだろうから、興味をもったらぜひ1次大戦を調べてみてほしい。影が薄いとはいえ、巡り巡って旧帝政を間接的に破壊したのはこの戦争であるような気もするから、決してわが国も無縁でない戦争である。歴史はかったるい分野であると思われがちであるが、試験さえなければ小説かなにかを読んでいるのと大差ないため、ぜひその「ドラマ」の面白さを知ってほしい。この上なく面白く、為になるドラマであるから。

 

ヤンデレとかいう至高の存在

 せっかく1限なくなって昼まで寝てられるようになったと思ったら、目が覚めちゃってあっぴょんぴょんなあそび人さんだよ。ついでにいうと、変な姿勢で寝てたらしく、腰がめちゃくちゃ痛いよ。別の原因(意味深)で痛くなりたかったね。

 

 数年1人身やってて、その上周りにカップルというやつが増えて参りますと、なんかまあ寂しくなってくるわけで。だってねえ、奥さん、信じられます?高校時代はあれですよ、彼女の持ちなんて周りにそんないなかったわけですよ。大学ってすごいんですよ、3歩歩けば彼女持ちに出くわすんですから。

 でもまあ、せっかく交際するのならばやはり長期で、ロマンチックな言い方をするのならば、「永遠」にお付き合いをしたいものである。「なんかよーわからんけど雰囲気が良かったら付き合って、飽きたからさいなら」なんて関係は、よそ様が構築する分にはどうでもいいが(場合によっては揶揄いの材料になってむしろ好ましい)、私自身は絶対にそんな付き合い方はしたくない。

 これはもう理論というか感覚だから、なぜそうなのかと言われても、

「・・・なんかいやじゃん?」

としか答えようがないのだが、なんとなくその関係の軽さが気に障るのだ。私が夢見がちなだけなのかもしれないが、愛という物はもっと重いものではないのだろうか。キリスト教的価値観に犯されているといわれればそれまでだが、先述した通り、感覚的にこういうもんだと信じてしまっているから、おそらく考えを改めることはないだろう。

 では、いかなる愛を私は求めているのか。これは読者の大半を占めるであろう友人諸君ならびに先輩方には何度も、何度もどころかしつこ過ぎて「もうおめえの趣味はわかったよ。いねえよそんなやつ」と思われてそうで怖いのだが、「ヤンデレ」なのだ。

 

ヤンデレとは、[キャラクター]の形容語の1つ。「病んでる」と「デレ」の合成語であり、広義には、精神的に病んだ状態にありつつ他のキャラクターに愛情を表現する様子を指す。その一方、狭義では好意を持ったキャラクター(「デレ」)が、その好意が強すぎるあまり、次第に精神的に病んだ状態になることを指す。ーWeblio辞書より

 

 すごくない?ねえ、すごくない?あんまりにも愛しすぎて精神を病むというのは相当なものである。すごくない?ねえ、すごくない?そこまで愛してくれるというのならば、心変わりというものも起きないと思うのだ。そうなればあとは自分の問題であり、それは案外どうとでもなってしまうものである。

 ただ、これは先輩だったか誰かに指摘されたように思うのだが、これは私を私を愛してくれている人ではなく、その愛されているという事実を大切にしていることでもあるのではなかろうか。私が求めているのは恋人ではなく、ある種の休憩所みたいなものではないのだろうか。

 

 

 

いやまあそうなんだけども。

 否定できないし、否定する気はない。事実、私が求めているのは、恋人という名の癒し効果抜群の香みたいなものである。だからといって、もし仮に奇跡が起きて私のことを愛してるとかいうゲテモノ好きが現れ、私に告白なんて軍服着てくるよりも恥捨てなきゃできないことをしてくれば、相手によっては快諾するし、その彼なり彼女なりをもちろん愛するだろう。ただ、それ以上に休憩所としての価値を重視するのもまた必定である。

 さて、ここ最近自分の株を落とすような記事ばかり書いていて、平成28年7月25日現在その最新となる記事を書き上げようとしているわけであるが、やっぱり自分をどんどん曝け出さないと面白い話はできないと思うんだよね。んなもんだから、もし、もし僕を好きだと、震えてるぞというのがいるんだったらね、試しに言ってごらん。僕が最下等に限りなく近い存在だから、よほどのもんか、性格や趣味的に合わないとかじゃない限りはおkされるよ!もしだめでも、自分を曝け出してゲテモノに告白したというネタになるよ!

 

待ってるよ!

 

 

 

昔語り

 5㎏ダンベルを左腕で上げながら、この記事を書いている。私は「なんか太らないんだよねー」とかぬかしてるやつとは違い、鍛錬によって体形を維持しているのだ。

 いやまあさっきから打ち間違いがすごいことになってるし、腕が疲れてきたからもう降ろしたいんだけども。まだ腹筋とか背筋とか胸筋とか、いろいろ残ってるんですよ。

 

 気が多いというか好色というか、大した面でもねえくせにやたら女を好きになる根っからの助平である私が、高校時代に恋愛してなかったわけがないじゃない。

 ただ、中学時代と違ったのは、明確な恋心ではなかった点である。それゆえか、元々がクズだからか、今にして思えば2人の女性を好きになっていたのだと思う。こうしていうと、所謂リアルでも付き合いのあるmademoisellesには警戒されてしまいそうだが、決して怖がることは・・・あるかもしれない。

 1人目に出会ったのは入学式のことであった。彼女は同じクラスの人で、女性の少なかった私の学年の中では、上位に入る美形であった。世間的にどうかという話は、世間的がわからないために何とも言えない。少なくとも、私には際立って見えたのは間違いない。彼女とは、最終的にはそれなりの仲、友人ぐらいにはなっていたつもりであるが、おそらく彼女の友人のランクの中では、あまり上位にいなかったであろう。機会がなければ異性には話しかけない私と、男性の友人に困らない彼女とでは、当然だが話す機会はさしてなかった。それでも、同じクラスであったこと、お互いにクラスの中心にいたことから、まあそこそこには話した。

 現在彼女がいないことから察しはつくだろうが、私の恋が実ることはなかった。そもそも、告白もしなかった。勇気がなかったというのもあるし、つらくなるのを避けるために、それを恋と認めようとしなかったのもある。いずれにせよ、気持ちは私のなかのままで完結(?)し、その領域内に彼女が招かれることはなかった。結果や、その後にくる私へのダメージを考えれば、これでよかったのかもしれないが、どうせ切れる縁なのだから、ダメ元で言ってみるべきだったとも思っている。

 

 2人目の出会ったのはいつか、これははっきりしたことは覚えていない。ただ、彼女の存在が私の中で印象的なものとなった瞬間は覚えている。春か秋だったと思う。確か冬服を着ていた。学校の最寄り駅でJR線を友人と待っていた時、何とはなしに辺りを見回した。そんなやつはいないとは思うのだが、私の行動をよく見ている者は、私に「やたら辺りを見回す癖」があることに気づいたかもしれない。このときもそれが現れたわけであるが、後ろに1人のJKがいるのを見つけた。それが彼女であったわけだが、彼女は私がいる方角を見ていた。私を見ていたのか、その奥にある何かを見ていたのかは、今となってはわからない。なんにせよ、彼女はその方向に向かって微笑んだのだ。突然の微笑みと、小っ恥ずかしい表現をするならば、その美しさに惹かれて、彼女は私にとって非常に印象的な存在となった。同学年であることを知ったのは、その後の学年集会かなにかだったと思う。

 これまたお察しであるが、結局彼女に告白することもなく、この感情も私個人の問題として終わった。理由は1人目と同じである。彼女と最後にあったのは、1人目の出るライヴを観に行った時のことで、帰りがけに出会い、初のまともな会話をした。会うことはそれなりにあったというのに、それまでに一度もちゃんと話したことがなかったとは、我が臆病さを恥ずかしく思う。そしてその会話も、ぎこちないものではなく、いつもmademoisellesとしているような会話ではあったが、それ以上のものでもなかった。これに関しては、友人ですらなかったため、余計なことを言わなくて正解だったと思う。

 

 さて、自身の臆病さとクズっぷりを見せつけただけに終わったわけだが、これ大丈夫なのだろうか。いやだぞ、月曜学校行ったら女性に避けられるとか。Twitterで書かなきゃいけない雰囲気になったら書いたけども、あれだぞ、そういう流れを作った約2名は今後も態度を変えずに接するんだぞ。あんたらが書かせたんだからな。

 そろそろ筋トレ(というよりも、体形維持運動ととでも言ったほうがいいだろうか)に戻りたいからここらで切り上げるが、正直ここまで書いたことを激しく後悔している。いやまあそれでもって公開しちゃうのが僕ちゃんクオリティなんだけども。

疑問

 アクセス数がたった1日でえらく増えたんだけど、なに、あんたらどっからきたの?たぶんあれでしょ?Twitterだけじゃないでしょ?1日で「全」フォロワーの1,5倍くらいきたもん。

 あのね、もし答えられるならね、たしか誰でもコメントできるようにしてたはずだからね、「~から」みたいな感じで答えてほしいのよね。出どころがわかんねえとおっかないから。

ハードボイルド

 なんか書きたくなって、外食するつもりが、晩飯が石焼ビビンバだというのを聞いたこともあり家に急いで帰ってきてから早5分。ブクマの中にはいっているブログの概要をみたらあら不思議、この前まで4だか3だったアクセスが62に。これ絶対ほとんどツイッターからだろ。もしくはあれか、バイセクシャルのくだりにつられて同性愛者がきたか?申し訳ないが、ネット恋愛と出会いはNG。

 

 さて、前口上はこの辺にして、本題に移ろう。タイトルにある通り、今回はハードボイルドについて書いていきたい。

 読者諸君の中に、ハードボイルド小説を読んだことがある人はいるだろうか?私は、チャンドラーの「長いお別れ」と「高い窓」を呼んだことがあるのだが、作品の持つ不思議な雰囲気にすっかり魅了されたものである。

 さて、先ほどした質問を同じ学び舎に身を置く者にしても、おそらくはほとんどが「Non」と答えるだろう。活字離れが進んでいるこの世代では、そもそもチャンドラーを知っているか、いや、ハードボイルドというジャンルを知っているかが怪しい。いるとするならば、村上氏と東氏あたりの作品がでるだろうか。

 話の流れから、「ああ、これでハードボイルド読めっていうんだな」と思った人がいるだろう。大正解である。もっと若い人、特に男性には、ハードボイルドを読んでほしい。ああいう人になれなんて言わない。はっきり言うが、それは修羅の道である。そもそもハードボイルドとは、元からなっているかならざるを得なかったかであり、なろうと思ってなれるものではない。

 生き方を見てほしいのだ。マーロウ達の生き方を。そこには、先述したように目指す必要はないが、理想とされるべき「男」がいるのだ。彼らは最高にかっこいい。アイドルが主役をやっている、ちゃちなドラマの主人公なぞ、その前には比較の対象にすらならない。そういう男たちを、私と同じく今を生きるやつらには見てほしいのだ。行間から漏れ出るタバコと酒の匂いは、きっとあんたの価値観を、少なくともある程度は変えてくれる。ラノベや恋愛小説がメインでいい。ただ、ただたまに思い出して、ハードボイルドを手に取って読んでみてほしい。本を読んで、もしなにかつかんだ気がしたならば、あんたもきっと、少しはいい男になっていると思う。

自己の解放

 大学に軍服を着て行ったことがある。当然ながら稀有な目で見られ、私の見えないところで笑ったものもいるだろう。

 友人は聞いた。恥ずかしくないのかと。私はさも当然のことのように、彼に向かってさらっと言い放った。

 

「恥ずかしかったらそもそも着てきやしない」

 

 ツイッターに関しても、私はサブ垢なんてもの持っていないし、今後も余程なにか大きなことがおきて心変わりしないことには、作ることはないだろう。人は私を見て、キ○ガイだというし、私もそうだと思う。

 

 信長のうつけ伝説や一休の奇行には負けるだろうが、場が「ざわざわ」とするような奇行(当然他者に迷惑をかける類のものではない。もし迷惑が掛かっているとするならば、それは私の友人たちにだけであろう)は、ほかにもいくらかやらかしている。自分でも、中々に頭おかしいなと思うこともあるが、後悔は、少なくとも今のところは全くしていない。

 私の奇行の原因の第一は、私の自己顕示欲にある。生来目立ちたがりである私にとって、人の目につくというのは重要なことだ。瓦に伍するようなことをしていても、見てくれるのはほんの一部に過ぎない。大概の人はそれで満足するが、私はそれでは我慢ならないのである。人がしないようなこと、中でも笑いがこぼれるようなものがより望ましいが、それをすることによってこそ、衆目を集めることができるのである。

 第二に、自身への理解を求めていることがある。どうにもこうにも、私という人間は誤解されることが少なからずあって、大概は誤解を解いた後のほうがより良い関係を構築できるのだが、失望されたことも幾度かある(悲しきかな、数少ない事例のうちのほとんどが色恋沙汰関連である)。そのたびに落ち込んだり、憤ったりしていたのだが、制服という枷が外れてからしばらくした時、あまりよろしくない方向に覚醒したようで、

 

「狂人は狂人らしく、キ○ガイだと思われようが、迷惑の掛からぬ範囲で好きなことをしよう。そうすれば、誤解を受けることもあるまい。受けたとしても、どうせマイナスなのだからそれ以上下がることはない」

 

という謎思考に至り、かくして今日まで奇行を繰り返しているのである。

 

 自分という人間を着飾り、多少偽ることは、誰かとの良好な関係を構築するに当たって有効な手段である。しかし、それによって抱かれた印象や張られたレッテルは、必ずしも自身にとって喜ばしいものであるとは限らない。それらはいずれ、誰かが望む自分の構築をせねばならないという、全く持って無意味かつ非生産的な思考にいたり、自身を蝕んでいく可能性がある。それを防ぐためにサブ垢などを作るのであろうが、私個人の意見としては、そんなものを作るよりも、初めから「自分」を出しておいて、それを認めてくれる人間だけと密接な関係になればいいのだと思う。

 

 ここまで言って私が自分を出さないのも卑怯であるから、一点でかいことを言っておくと、私は自身がバイセクシャルなのではないかと疑っている。

 

 

 

 

 

カラオケオール

 先日、人生初のカラオケオールというやつをしたので、それについて書いておきたい。

 ある夜、サークルが終わったのち、同期2人、先輩複数人としばらく正門の前で話していたのだが、1人の先輩が私を含む1年3人に、夕食をともにしないかと申された。実のところ、自宅に母が用意してくれていた肉じゃががあったのだが、先輩並びに同期と親睦を深める好機と思った私は、この誘いに乗った。物わかりの良い両親を持つと何かと楽である。

 ささやかな夕食会は、先輩のおごりで、学校からそう遠くない某学生に大人気なイタリアンレストランにて開かれた。私はなるたけ安く、それでいて量などの要素から気を使ったともとられないような品を頼み、ありがたくいただいた。食卓は様々な話題に華やぎ、時間はあっという間に過ぎていった。

 時期に22時になるといった頃だったろうか。カラオケに関することが話題に上がった。時間も時間であったため、所謂カラオケオールの話なども出てきたのだが、ある先輩が、カラオケが好きだという別の先輩に、今日は行かないのかというような話をされた。おそらくは冗談のおつもりだったのだろうし、話を振られた先輩もそれはご承知であったと思うのだが、こういった冗談は不思議なはずみで現実と化したりするもので、先輩はカラオケに行くことを決断された。そして、お1人様というのもどうかと思われたのか、1年3人とほかの先輩も誘われた。勢いという者は恐ろしいもので、前の晩に完徹をされていた先輩もいたというのに、全員が参加を決めた。かくして、私は人生初のカラオケオールに挑むことになったのである。

 5分も歩かないうちに、我々はカラオケ店に到着した。「8時間」という今まで見たこともない数字と文字が書かれた紙が先輩の手に渡されたとき、幾分背徳感を感じた。部屋に入ると、さっそく誰か歌うよう促され、だれも歌おうとしなかったため、私がマイクを取った。まずはおどけるのが良いと思い、小林旭の曲などを歌うと、テンションが高くなっていたせいか、その場にいた全員が笑ってくれた。歌い終えた後、ひとまず場を整えることに成功した安堵感と、早くも襲い来ていた眠気のために、私は力なくソファに座った。

 その後はてんやわんやとでも言おうか、それともカオスといおうか、なんにせよ実に愉快であったのは間違いない。喉を傷めているというのに高音の曲を大声で歌う先輩、非常にお上手であらせられた先輩、実は歌がめちゃくちゃうまかった同期、エロティックな歌を実に艶やかに歌う先輩、我々の世代にとっての懐メロを次々と繰り出す同期、3時になろうが4時になろうが元気な先輩と、夜は騒がしく、賑やかに、あっという間に過ぎ去っていった。

 店を出たのは6時だった。すでに日は昇り、帰路は背中に降り注ぐ陽光が暑かった。先輩方と同期連中への別れの挨拶を済ませた後、私は自転車にまたがり、ようやく目覚め始めた商店街を駆け抜けていった。わずかな眠気はあり、それによって軽い事故すら起こしたが、気分は実にすがすがしかった。久しぶりにすべてを出し切った気がして、参加を決断した前の晩の自分を心の底からほめてやりたい気分だった。初っ端から少し躓きがちであった大学生活だが、こういうこともあるのならば、悪くないとようやく思えた。今でも、誘っていただき、そのうえ代金のいくらかまで払ってくださった先輩方と、楽しい時間を共有してくれた同期連中には感謝している。例のバイトからもおさらばしたいま、やっとこさ明るい気持ちで生きられそうである。