俺がために筆を振る

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夏の魅力

 3日連続のカラオケで、色々な歌に挑戦しているあそび人さんだよ。低い声を大きくだせるようになると、歌える曲の幅が広がる気がするんだけど、どうなんだろうね。

 

 ついに夏本番たる8月がやってきた。今でさえ暑いというのに、これからさらに暑くなるか、この暑さがしばらく続くとと考えて憂鬱になっている人もいることだろう。しかし、私はこの季節、そこまで嫌いではない。少なくとも、いくら厚着しても寒さと痛みに震えることになる冬よりはマシである。

 暑さを嫌がる人もいるが、暑さがあるからこそ「涼」というものを感じることができるのではなかろうか。暑くなければそれを感じる必要がないだとと、無粋なことをいうものではない。必要性の問題ではなく、「涼」というもの自体の魅力をみれば、理解してもらえるはずである。

 涼といえばなにか、風鈴、葦簀、緑のカーテン。海、波、清流とサラッと吹き抜ける風。かき氷、西瓜、ラムネにビール。麻の服、扇子、団扇。パッと思いつく限りではこんなところか。これらを単純に暑さから逃れるための手段としてではなく、そこに存在する風情から、それ自体に価値のある行動として私は見ている。冬における暖をとる行動にも同様のことがいえるのだが、どうしてもあの寒さが我慢ならないため、冬は嫌いである。

 夏の魅力は涼ばかりではない。他にも多くの要素が夏という季節をよきものにしている。それら1つ1つをあげてそれぞれ述べていくのもいいが、前回フランス革命について書き、もうなんか長々書きたくないため、1つだけについて述べる。

 夏になると暑くなる、すると涼をとろうとして、体を覆う布を減らそうとする。つまり、肌の露出が増える。そう、女性の肌を見れるのである。普段は隠され、拝むことのできない美しき四肢が、遂に我が前に姿を現すのである。言葉では表しがたい、なんかよくわかんねえエロティックななにかがあふれる皮と肉と骨の塊は、男が普段うちにしまい込んでいる感情を呼び起こす。女の体が跳ね、四肢が動けば、それはもう男の【自主規制】が【自主規制】して【自主規制】となる。冬では絶対に得られない感情が昂ぶりが、そこにはあるのである。

 これから暑さに苦しみ、日陰に入って涼をとろうとすることがあるだろう。もしそこに風が通って、一瞬でも涼と共に「風流」を感じたならば、それが説明下手な私が言いたかったことであると理解していただきたい。また、肌を出した女性を見て欲情を覚えた場合も同様である。

 

 「寒いのは着ればなんとかなるが、暑いのは下着まで脱いだらどうしようもない。つまり、冬のほうがまし」とか言ったやつがいるらしいが、そう言ったやつに問いたい。

 

「お前雪だるまにでもなって外行くつもりか?」

 

冬だって寒さを感じなくなるまでとなれば相当着こまねばならない。しかし、そこまでするとするのは様々な要因から難しい。だから、その季節によって得られる恩恵によって、冬と夏の優劣は判断されるべきじゃない?夏は女の人の肌見られるじゃない?男はみんなエッチなの大好きじゃない?はい、夏のが優れてる、はっきりわかんだね。