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俺がために筆を振る

現役おっさんくさい保守的な大学生の執筆する供給しかねえブログ不定期更新中

新選組の魅力

 前期終わったああああ休みじゃああああ教授が新選組の話してたああああ日野が近いいいい3限なんてしらねええええいったらああああ・・・というテンションで、日野に行って方々回ってきたあそび人だよ。5㎞は歩いたけど、充電少なかったからポケモンGOはやってなかったよ。

 

 子母澤寛の「新選組始末記」以来、新選組は多くの日本人から愛されてきた。「銀魂」、「薄桜鬼」などの作品、新選組研究の大部分がアマチュアによって行われている点などが、それをよく表している。一体新選組の何が、人々をこれほどまでに惹きつけるのだろうか。

 一切の感情を持たず、客観的に新選組を見た場合、嫌うこともないだろうが好きになることもないだろう。「自らの憧れのために活動し、気づけば目的も変わり、ついには時代の流れへの逆行のために滅びていった集団」「武士でないくせに、誰よりも武士らしくし、その結果死に、生き残っても武士らしい末路を迎えた連中」こんな評価が出てくるのではないだろうか。主観を抜きにして考えれば、彼らには何の魅力もない。そういう集団なのだ。

 しかし、私には彼らの、勇ましいとも傲慢とも、あるいは哀れとも見えるその姿が、中々客観的には物事を考えられない人々に魅力的に映るように思える。新選組は、己の感情を交え、合理性をかなぐり捨てて、初めてその魅力を感じることができるのだ。

 新選組のうちに、武士は決して少なくはなかっただろう。しかし、身分による入隊制限がなかったため、それ以外の身分の者がいたことも間違いない。近藤勇土方歳三井上源三郎などは、武士の出ではない。また、武士身分の隊士も、どこかの藩に所属しながらの入隊はできなかったであろうから、全員が浪人だったのではなかろうか。いずれにしても、確実にいえることは、彼ら全員が社会的に大きな影響力を持つ層には属していなかったことである。

 しかし、武士身分の者はもちろんのことだが、近藤や土方なども、農民とはいえ豪農の出であるため、それなりの教育を受けていた。故に、影響力がないゆえにそれを実現させることはできないものの、当時の政治に対する意見は持っていた。彼らがこれに歯がゆさを感じていただろうことは、近藤の道場である試衛館が、当時の道場の例にもれず、ある種のサロンのようになっていたことから、容易に想像がつくだろう。

 そんな彼らにとって、文久3年の「尽忠報国を元にし、公正無二、身体強健、気力壮厳の者、貴賤老少にかかわらずお召寄りにあいなり候」という応募条件での浪士組参加者の募集は、念願をかなえる一世一代のチャンスであった。将軍警護の部隊に参加し、治安の悪い京で薩摩人や長州人を切って名を上げれば、幕臣に取り立ててもらえるかもしれない。そういった期待が彼らのうちに沸いた。彼らが伝通院(浪士組志願者の集合場所とされた寺。筆者は一度だけ訪れたことがあるが、新選組関連のものは、清河八郎の墓くらい)にいかない理由はなかった。

 その後、彼らは諸事情あって江戸に帰る浪士組から離れ、芹沢鴨らと壬生浪士組を結成し、これがのちの新選組になるわけだが、概説は一旦ここで終わりとする。私がここまでで強調したいのは、後に新選組の中核となる、壬生浪士組試衛館派の社会的影響力を持つ存在への憧れである。先述したように、新選組の初期メンバー、つまりこの試衛館派には武士がそれなりにいた。しかし、脱藩しているのがほとんどだったか全員(たぶん全員)であり、これまた先述したように、社会的な影響力はなかった。これからしかし彼らには政治思想が存在し、それを持つ多くの若者同様、心のどこかで、現実のものとするチャンスはないかと考えていたはずである。武士にならねば政治的なことは何もできない。だが、自分たちは武士ではないか、武士でも浪人である。このギャップが、武士、特に幕臣への憧れに変わるのは自然であろう。

 上京後も、試衛館派の武士への憧れは変わらなかった。またそれは、晴れて武士になった後でも変わらなかった。新選組には局中法度として知られる禁令が存在したが、その中にて「士道を背く事」が禁止されている。これはこの手に規則によくある建前か、曖昧な規則を作ることで、処刑をしやすくしようとしたものではないかと思うのだが、どちらにせよ、武士らしくあろうとしていることが窺い知れる。当時の武士の中で、士道に背いていないものがどれだけいるかという話だが、当時の試衛館派の面々にとって武士は、単なる社会的影響力を持つ身分ではなく、英雄的な存在として捉えられていたのである。こうして新選組は、武士以上に武士らしい集団となっていく。しかし彼らが武士を目指し、武士となった時代は、悲しきかなその武士という存在が消える時代でもあったのである。

 その後彼らは、鳥羽伏見、甲州勝沼、宇都宮、会津、函館と転戦し、全てで敗北する(中には「戦術的」には勝利したものも存在する)。そして函館での降伏によって、その姿を歴史から消した。滅びゆくものに縋りついたとみる事も出来るが、滅ぶわかっていても忠義を貫いたとみる人もいる。いずれにせよ、その悲劇的な最期が、彼らの魅力をより引き立てているのは間違いない。

 個人的には、滅びゆくものに縋りついた存在として新選組、いや、試衛館派を見ている。試衛館派に話を限定したのは、鳥羽伏見の敗戦以後、隊からの脱走者が急増したためである。彼らは恐れたのではないだろうか。自分たちが憧れ、信じ続けた武士の消滅を。こう書くと新選組が嫌いなように見えるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、彼らのいじらしさのようなものに魅力を感じる。彼らも、新しい時代が来ることはわかっていたはずである。しかし、自分が信じたもののために、負けるとわかっていても、どうにもならないとわかってもいても戦った。決して格好のよい姿ではない。彼らは忠義といったかもしれないが、そこにあるのは恐怖や不安、エゴイズムに近いものでしかない。それでも、なぜか彼らの存在が放つ哀愁に惹かれ、どうしても新選組と、その中核となった試衛館派を否定することはできないのだ。

 新選組の魅力は大別して2つではないだろうか。武士よりも武士らしくし、忠と勇とを重んじ、最期はそのために散ったはかなさと雄々しさが1つ。そしてもう1つは、憧れのために、それがもはや通用しないとわかっていてもそれに固執し、圧倒的な力と説得力をもってして否定されても、なおも戦うことで自らの正当性を主張した悲しさ、愚かさ。新選組は決して超人ではない。良くも悪くも純粋で真っ直ぐな奴らが率いた、一時の夢だったのである。

 

 くぅ~疲れ(ry なんだこれ、レポートか?いや主観とか憶測がめちゃくちゃはいってるからレポートではないか。文字数2700ってなんだよ。日付変わったよ畜生。ほんとは、新選組における洋式調練の話とかしたかったんだけどできなかったよ。明日面接なのに何やってるんだよおれ。寝ろよ。