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俺がために筆を振る

現役おっさんくさい保守的な大学生の執筆する供給しかねえブログ不定期更新中

自己の解放

 大学に軍服を着て行ったことがある。当然ながら稀有な目で見られ、私の見えないところで笑ったものもいるだろう。

 友人は聞いた。恥ずかしくないのかと。私はさも当然のことのように、彼に向かってさらっと言い放った。

 

「恥ずかしかったらそもそも着てきやしない」

 

 ツイッターに関しても、私はサブ垢なんてもの持っていないし、今後も余程なにか大きなことがおきて心変わりしないことには、作ることはないだろう。人は私を見て、キ○ガイだというし、私もそうだと思う。

 

 信長のうつけ伝説や一休の奇行には負けるだろうが、場が「ざわざわ」とするような奇行(当然他者に迷惑をかける類のものではない。もし迷惑が掛かっているとするならば、それは私の友人たちにだけであろう)は、ほかにもいくらかやらかしている。自分でも、中々に頭おかしいなと思うこともあるが、後悔は、少なくとも今のところは全くしていない。

 私の奇行の原因の第一は、私の自己顕示欲にある。生来目立ちたがりである私にとって、人の目につくというのは重要なことだ。瓦に伍するようなことをしていても、見てくれるのはほんの一部に過ぎない。大概の人はそれで満足するが、私はそれでは我慢ならないのである。人がしないようなこと、中でも笑いがこぼれるようなものがより望ましいが、それをすることによってこそ、衆目を集めることができるのである。

 第二に、自身への理解を求めていることがある。どうにもこうにも、私という人間は誤解されることが少なからずあって、大概は誤解を解いた後のほうがより良い関係を構築できるのだが、失望されたことも幾度かある(悲しきかな、数少ない事例のうちのほとんどが色恋沙汰関連である)。そのたびに落ち込んだり、憤ったりしていたのだが、制服という枷が外れてからしばらくした時、あまりよろしくない方向に覚醒したようで、

 

「狂人は狂人らしく、キ○ガイだと思われようが、迷惑の掛からぬ範囲で好きなことをしよう。そうすれば、誤解を受けることもあるまい。受けたとしても、どうせマイナスなのだからそれ以上下がることはない」

 

という謎思考に至り、かくして今日まで奇行を繰り返しているのである。

 

 自分という人間を着飾り、多少偽ることは、誰かとの良好な関係を構築するに当たって有効な手段である。しかし、それによって抱かれた印象や張られたレッテルは、必ずしも自身にとって喜ばしいものであるとは限らない。それらはいずれ、誰かが望む自分の構築をせねばならないという、全く持って無意味かつ非生産的な思考にいたり、自身を蝕んでいく可能性がある。それを防ぐためにサブ垢などを作るのであろうが、私個人の意見としては、そんなものを作るよりも、初めから「自分」を出しておいて、それを認めてくれる人間だけと密接な関係になればいいのだと思う。

 

 ここまで言って私が自分を出さないのも卑怯であるから、一点でかいことを言っておくと、私は自身がバイセクシャルなのではないかと疑っている。