俺がために筆を振る

現役おっさんくさい保守的な大学生の執筆する供給しかねえブログ不定期更新中

フランス革命の考察(考察とは言っていない)

 カラオケでイケボだイケボだと女の子からおだてられ、ちょっと調子乗ってるあそび人さんだよ。もし仮に僕がイケボの持ち主だとしたら、その声を活かして落語でもやってみたいですね、はい。あと、今日の記事は、大学に提出したレポートからのコピペを多々含むよ。

 

 友人に、宝塚を好きな女性がいる。『姥勝手』(田辺聖子著)の歌子さんがいうところの、「宝塚大好き少女」というやつである。彼女とカラオケに行くと十中八九、いや100%宝塚の歌を聞けるのだが、公演を見に行ったことがないどころか、大好き少女にあったのもこれがはじめてという私には、宝塚と言えば「翼の決戦」と「ベル薔薇」くらいしか思いつかない。とはいえ、思いつきはするものだから、それに着想を得てこの記事を書くわけである。「翼の決戦」にして日本近代史勢を喜ばしてもよいが、近代は前回取り上げたため、今回は近世に戻る。つまり「ベル薔薇」、フランス革命について書くことにする。当初は89年から95年くらいまで書こうと思っていたが、思ったよりめんどくさかったため、ベル薔薇が89年で終わっているのに倣うことにし、10月事件(またヴェルサイユ行進)までについて書くこととする。

 

歴史においては一般的に、フランス革命ナポレオン戦争を区切りとして、近世と近代を区別する。それは、この2つがそれまでの常識を大きく変えるほどの変化であったからだ。フランス革命の理念は、ブリュメール18日あたりで放棄され、その後100年近くフランスの政権からは忘れられるが、その影響力の大きさは、今日の国家にまで及んでいることからよくわかるだろう。(以下、コピペ多数)

 18世紀末フランスの財政事情は、実に厳しい状況にあった。ルイ14世ルイ15世の2人の治世下に行われた度重なる戦争は、国庫に計り知れない打撃を与えていた。そして、国庫に、ひいてはフランス「王国」にとどめの一撃を加えたのは、ルイ16世が行った、アメリカ独立戦争への支援であった。当時の具体的な財政状況を知ることはほぼ不可能であるが、1788年に国王に提出された予算書によれば、収入5億300万リーヴルに対し、支出は6億2900万リーヴル。つまり、1億2600万リーヴルもの赤字であったという。なお、同時期に経済危機の悪化が起きているため、実際にはより多くの赤字が発生していたとも考えられている。

 この状況下において、カロンヌやブリエンヌら、王に登用された財務総監は、第1、第2身分を対象とする新税の導入を中心とした改革に着手したが、いずれも王権の弱体化を狙う貴族たちによって阻まれてしまっていた。結果的に、王が貴族たちに屈する形で、全国三部会(新税導入の是非問う議会)が開催されることとなった。この三部会に対し、下層民も並々ならぬ関心を寄せていたようである。参加できないにも関わらず、連日多くの人が三部会の進行を見守るためにヴェルサイユに押しかけ、手に入れた情報を町々のカフェや広場で話題にした。また、情報が伝わりにくい地方都市においても、第3身分(当時のフランスの身分は第1、第2、第3身分の3つに分けられており、第1は聖職者、第2は貴族、第3がその多数で構成された)の三部会議員が情報を送り続けていたため、それを聞きにきた人々で町の広場は埋まったという。

 しかし、この三部会がフランスの問題を解決することはなかった。議員定数や議決方法をめぐって、第1、第2身分と第3身分が対立したのである。議決方法をめぐる議論は平行線をたどり、本題にもたどり着かず、議会は膠着状態に陥った。これに愛想をつかしたシエイエスをはじめとする人々は、王の承認なしに「国民議会」の結成を宣言。これにより議場から追い出された国民議会メンバーよって、有名な球戯場の誓い(テニスコートの誓いとも)がされる。遅々として進まない三部会よりも、この英国型立憲制を目指す議会に期待したルイ16世は、これを渋々ながら承認した。そして、憲法制定国民議会が再編され、フランスは近代的な方法で再建を目指すこととなる。

 しかし、宮廷はこれを歓迎しなかった。宮廷貴族は王に圧力をかけ、軍をヴェルサイユとパリ周辺に集結させ、さらに国民に人気のあった財務総監ネッケルを罷免した。議会を牽制したのである。

 議会はこれによって追い詰められ、有効な手を打つことができないでいた。それを救ったのは、これから革命の要所要所で大きな役割を果たすことになる、民衆であった。軍によるパリ包囲に最も大きく反応したのは、議会ではなくパリ市民であった。彼らは王の兵がパリに突撃したときにおこる掠奪を恐れたのだ。市民は王に屈するのではなく、抵抗することでこの恫喝に答える。所謂、バスティーユ襲撃を起こしたのだ。1789年7月12日、パレ・ロワイヤルに集結した民衆は示威行進をはじめた。これに町の衛兵が加わり、市内各地で王の兵士と小競り合いが起こる。宮廷が手をこまねいている間に、議会も動き出した。ブルジョワジー(こういうのは、議会内の革命的〔この定義は時期によって変わるが〕な議員の大部分はブルジョワ階層に属す第3身分か法曹関係者であったため)は市民の無秩序な行動を組織化し、自らの抵抗力とせんとした。13日には参加者も増え、それによって発生した武器の不足を解決するため、14日に市内の廃兵院(アンヴァリッド。ナポレオンの墓で有名)に押しかけ、マスケット銃を手に入れた。それでもまだ足りなかったのか、市民はまた別の場所に目をつける。それが、バスティーユであった。

 今日日本においては、バスティーユの襲撃は囚人開放が目的であったといわれることが多い。しかし、それは全くの間違いである。バスティーユは牢獄としてはほとんど機能としておらず、武器庫としての役目がメインであった。7月14日にいた囚人は7人ほどで、政治犯に至っては1人もいなかった(余談だが、数日前まではあのマルキ・ド・サドが収監されていたという)。市民の目的は、砦内部に蓄えられている火薬の入手と、自分たちに向けられた大砲の撤去、精神的なものを含めるなら、専制の象徴の攻略もあったかもしれない。砦に市民が到着した知り、騒ぎを起こさずに事態を収拾しようとした市は代表を砦内部に送る。要求は受け入れられ、砦の指揮官は代表たちを昼食に誘った。ことは当初、穏便に運んでいたのである。しかし、中々出てこない代表に痺れを切らした1人の市民(書籍によっては2人)が砦に潜入し、城門をあけてしまう。開門を見るや市民は砦に向かって我先へと走り出した。押し寄せた民衆に驚いた兵士がこれに向け発砲し、それに驚いた民衆は応戦し、混乱の中で結果的に戦闘が勃発する。そして、最終的には数で勝る民衆が砦を占拠したのである。バスティーユ襲撃とは、こうした隅発的要因が重なった結果だったのである。余談であるが、ベル薔薇のオスカルのモデルは、この事件においては市民側について戦った軍人だか国民衛兵だかの指揮官であるそうだ。

 この時期、農村部でも「大恐怖」と呼ばれる騒ぎが起こっているが、めんどくさいので割愛する。だってもう3000字近くになってるんだもん。もう文章書くの疲れちゃったよ。

 バスティーユの後、封建制の廃止、人権宣言の採択と、新体制の構築は議会の中では進んでいた。しかし、この当時の議会はあくまで立憲王政を目指しており、これらには王の批准が必要であったのだが、ルイ16世はあくまで抵抗をつづけた(拒否権氏と呼ばれていたそうである)。さらに10月には、再びヴェルサイユに軍隊を集結させ、議会への恫喝を行っている。議会はまたも窮地に立たされたわけであるが、思わぬ加勢によって危機を脱することとなる。その加勢とは、7月と同じく民衆であった。

 依然として解決されない食糧問題に対し、パリ市民は憤りを感じていた。さらに、近衛兵が王族の前で、革命を象徴する三色の帽章を踏みにじり、それを王妃が喜んだという話を聞き及び、これを宮廷の革命に対する挑戦であると民衆は受け取っていた。そして10月5日の朝、堪忍袋の緒が切れたパリ市内の婦人達は、市役所前に集結して食糧配給を要求したのである。熱狂する民衆の中から、マイヤールというバスティーユ襲撃の際にも活躍した活動家が、ヴェルサイユに陳情に行くことを提案した。これに賛同した民衆達は、途中で国民衛兵と合流したりしながら、雨の中を6時間行進し、ヴェルサイユの立憲議会議場に押しかけた。マイヤールは議場に入り、食糧の欠乏について苦情を述べ、さらに軍の退去を要求した。これに対し議会は、食糧問題の解決についてのみ答えた。

このとき国王は、趣味の狩りに出かけていたが、騒動について聞くとすぐに宮殿に戻った。夕方、マイヤールに先立ち議場を出た婦人たちが宮殿に押しかけ、パリ市役所に対するものと同じ要求した。王はパリへの食糧配給を約束し、その証書にサインをしさえもした。そして、マイヤールや婦人たちもパリへ帰りはじめ、国民衛兵も引き揚げ、さらに夜に開かれた議会においては、ついに議会で採択された諸法令が王によって無条件で受理された。多くの者が、事態は収束したものと考えていた。しかし翌日、民衆の一部がヴェルサイユ宮殿の中庭に侵入し、近衛兵と乱闘騒ぎを起こしたあげく、宮殿の内部にまで入り込んだ。さらに、混乱を鎮めるためとして、国民衛兵が近衛兵を追いやって、宮殿を占拠までしてしまった。国王一家は事態を治めるために民衆の前に姿を現したが、彼らは国王に対し、宮廷のパリへの移動を要求した。熱狂した群衆を止めることはもはや不可能であり、王はこの要求に屈した。この後、宮廷はパリのテュイルリー宮殿へと移動し、続いて議会も同地へ移動する。こうして、パリは再び政経双方の中心地となった。

 パリへと強引に連れ戻され、テュイルリー宮に押し込めらた王は、これにて革命においては敗者となってしまった。そしてそれにより、議会が本格的に政治を動かしていくことになる。当時の人々の多くは、これにて革命が終わったものと思っていた。これから立憲体制のもとに国が再建されていくと考えていたのだ。しかしこの大革命は、4年後に始まるテルール(所謂山岳派あるいはジャコバン派独裁)を挟んで、さらに10年程続くことになる。そしてその間に、89年時点では想像しようもなかったほどの血が流されることになるのである。

 

 くぅ~疲(ry まーた日が変わってしまった。字数も4300に達そうとしている(ここで達した)。まあしかし、投票率が下がっているここ数年、再び選挙という物を、ひいては民主主義を考える必要があるため、ぜひフランス革命についてはご自身でも調べてみてほしい。いま我々が当たり前のように持っている権利が、どれほどの屍の上に獲得された物なのかがわかれば、少しはありがたみも増すだろう。それでは、Au revoir.

 

 

ビッチ!ビッチ!ビッチ!

 なんとなく作った短歌(?)の出来が、改めて見返すとあまりにもひどくて、つぶやいたことを心底後悔しているあそび人さんだよ。隅田川の花火の音が響いてくる様子を表したかったんだけど、私に芸術的なセンスなんてなかったよ!

 

 中学の頃から、多数の男性と「仲良く」する女性の友人を、学校ごとに持っていた。現在も、見方によっては所謂「ビッチ」となってしまう友人を2,3人持っている。(「パパ」がいたりするんだそうですよ)。彼女たちは、一般的な倫理においては、あまり良いようには見られない。しかし、私の視点は少し違っている。事前に記しておくが、女の考えやら立場など私には理解しようがないため、あくまで男の視線に立って書いていく。

 私は彼女たちのことをあまり悪くは思っていない。なぜなら、面白いからである。やはり男性が周りに集まるのは、外見だけが理由ではないようで(外見に関しては、愛嬌はあるし悪くはないが、美人というと違うくらいのものであったりすることが珍しくない)、会話がうまいのである。外見はいいが口下手な女は、大体すぐに飽きられる。外見などはそのうち新鮮味がなくなってしまうからだろう。一方、会話というものは毎度毎度違うため、このスキルを持っている奴は人に新鮮さを与えられる。そうして、「こいつといると楽しい」という風な思考にいたり、自然と男が集まっているという次第である。楽しい時間を過ごすことのできる存在と離れる理由がどこにあろうか。踏み込み過ぎさえしなければ、彼女たちと良い関係を構築し、愉快な会話の相手であり続けられるのである。

 問題は、こういった存在と「深い」仲になることである。はっきりと言おう。彼女たちの周りにいる男性には、往々にして自分たちが取り囲む女性に対する下心がある。これは本能の問題であろうから、批判に値することではない。本当の男女の友情とは、恋愛(両想いにしろ、片想いにしろ)を超えた先に生じるのであり、その前段階において発生することはあまりない。つまり、囲む男と囲まれる女が恋愛関係になる可能性は常に存在している。そしてそれは、すでに相手がいるとかいう事情にはあまり左右されない。一夫一妻は人間が理性によって作り出したものであり、理性は本能に抗えないことが多いのである。男は自身に近しい「女」に欲情を覚え、女は自分によくしてくれる「男達」になにかを覚える。

 恋愛関係になったとき、何が生ずるか。嫉妬と憎悪である。人間のうちにある独占欲と、先述した一夫一妻の常識によって発生したこれは、理性で表に出すことを抑えられないでもないが、それは本人に負荷をかけ、いつか爆発することもあろう。そして、関係が破壊されるのだ。

 では、このような女とどのように接するのが賢明であるのか。やはり、「友人もどき」に留めておくことだろう。先述したように、恋愛を超えた先にしか異性間の友情は生まれない。故に、恋愛に至っていない男女の関係を「友人もどき」とした。友人もどきであれば、お互い最良の状態でいられる。もし恋愛感情を覚えても、よほどの覚悟か自信がないのなら、心の中にしまい込むのが賢明であろう。相手が誘惑してきても、その対象が自身のみであるという万人が納得する根拠がないのならば、適当なジョークで跳ね返すのがよかろう。

 締めに、この手の女を歌った私のお気に入りのご機嫌な曲を、テストを兼ねてはっつけておく。

 

 


Daryl Hall & John Oates - Maneater

 

 この記事、1つ前とおんなじくらい友人を失うリスクがあるんじゃなかろうか。なんか今日はいろんな人を敵に回す記事しか書いてねえな。ちなみに、高校時代のそういう女の友人は、前に紹介したうちの2人のうち1人だよ。

 

 

 

批判覚悟で障害者について述べる

 今回は珍しく真面目なお話だから、最初にちょっと注意事項をば

・筆者は、所謂知的障害者やら発達障害者やらの中でも、重度の障害を抱える人間が「嫌い」です。おいそこ、ここだけ見て批判しようとするな。ここだけで批判していいのは何も嫌いになったことがないキチ○印だけだぞ。

・ここでいう「障害者」は、知的障害発達障害を持つ人のことであり、そのほかのものは含みません。また、軽度の障害者と重度の障害者を分けて書いていない場合があります。便宜上ってやつだね。ていうか軽い方は自分も含まれる可能性あるからね。

・障害者の隔離を主張します。

・命の価値を平等に「くそ」だと思ってます。

・障害者全てがこの記事で言われているような存在ではなく、当然程度があります。というか、私が話題に出しているようなのは少数派です。

ちなみにこの記事、私を善人だと思ってた人の意見がくるっと変わる記事だからよろしく。

 

 出身小学校に、特別支援学級があった。4年生まで通った学童には、そこに所属する児童も来ていた。有り体に言ってしまうと、彼らの3分の1は「獣」だった。理性がなく、目のつく気に入らない物を全て破壊しようとしていた。彼らがそれをあえてしていたのか、はたまたどうしようもないものだったのかは私にはわからないし、興味もない。言いたいのは、当時彼らを見たことによって、私の今日にまで至る障害者観が決定したということである。

 中学ごろからすでに、障害者も健常者と一緒だとか、彼らも価値ある命だという意見を理解できなくなっていた。程度にもよるが、意思の疎通も満足にできず、とくには健常者にとって危険にもなりうる彼らの命が、我々と一緒であり、同価値であるとはとても思えなかった。

 高校にして全ての命に大した価値がないと考えるようになった私は、重度の障害者たちは隔離されるべきであるという結論に至った。差別感情からではなく、互いの利益のためにそうすべきと考えたのだ。

 物わかりが悪いのがいるといけないから一応述べておくが、私は彼らに差別感情を抱いているわけではない。例の冷酷なる殺人者は、どうにも差別感情から事件を起こしたように思えるが、私は彼らへのトラウマからこの思想を抱くに至っている。自分の心に正直になって考えてほしいのだが、何を言ってるかわからず、外見もやや違い、下手をすれば暴力まで振るってくる存在が近くにいるとき、あなたはそれを自分と同じ存在であると認識できるだろうか。ほとんど人は、自分とは違う異質なものであると認識するはずである。

 もうやめようではないか、彼らを見世物にするのは。障害者はどうあがいても障害者であり、健常者からは異質なものとして見られ続けるだろう。健常者もまた、障害者のことを障害者としか見れないのである。これは誰にも、どうしようもないのである。異質なものから身を守ろうとする意識が人にある限り、障害者は異質なものとして見られる。相互理解を訴える人もいるが、対話ができるレベルなら可能だろうが、それもできないレベルとなれば不可能である。人間は対話によって相手を理解する。それができない存在をどう理解しようというのだろうか。人語をつかえないペットと飼い主が理解しあえるのは、そこに上下関係が存在しているからに過ぎない。しかし、障害者を鎖でつなぐわけにはいくまい。

 この互いに理解しあえない存在を、無理に同じ世界に押し込めることはないはずである。互いに無関心で、好きになることもないが嫌いになることもない。これでいいではないか。私には、守ると言って外に連れ出し、自己満足にしかならないというのに、健常者の理解を求めると言いながら障害者を見世物とする連中のことが理解できない。彼らのしていることはあまりにも残酷だ。それがいつか実を結び、健常者と障害者が理解しあえるならいくらかの犠牲は仕方ないかもしれない。しかし、それが不可能だとしたら?永遠に理解しあえないとしたら?彼らは一体何のために生贄を差し出し、障害者はなんのために犠牲となっているのだろうか。

 

 自分でもすごいこと言ってるとは思うよ。でも、こういう意見も誰かが言わないといけないとも思うんだよね。博愛主義や理想主義じゃあなにも変わらない。残酷な現実を見て、それを言えるやつって一定数必要じゃないかね。

 次回こそ、また恋愛ネタ書くよー。

 

 

ゴシップ大好きおばさんあるいはおじさん

 今さっき新選組の記事書き終わってぐったりしてるあそび人さんだよ。もう1時だよ、良い子も悪い子も普通の子も寝ろよ。起きてていいのはエロい子だけだよ。

 

 ゴシップ大好きおばさん(?)である私にとって、他人の色恋沙汰はトルティージャ(スペインのオムレツ。ジャガイモが入っていて美味)以上の好物である。自身のその手の話には、もはや積極的な興味を失った私であるが、他人の恋の話を聞き、お節介なアドバイスをするのだけは当分やめられそうにない。だからこそ、今も友人の話を聞いてお節介を焼いている。

 幸いなことに、誰と誰が別れたよりも、誰と誰が付き合ったのほうを面白がるくらいには健全である。惚気話なんかも案外好きだし、気心知れた奴とだれかだったら、茶化すのさえ許してくれたら目の前でイチャイチャされても構わない。そういう2人を見ているのは微笑ましいし、揶揄うのは実に楽しい。2人をみて、笑みを浮かべているときの私の内心は、おそらく孫カップルを見る祖父母のそれに近いだろう。いやだねえ老けてるって。

 しかし、最近その好物をあまり摂取できていない。寂しい、すごく寂しい。いまだ成就していない恋の支援の対価だけでは足りない。すでに成就した連中をこれでもかと揶揄いたいのだ。実に歯がゆいというかなんというか、周辺にカップルはいるのである。いつぞや言った通り、3歩歩けば彼女持ち・彼氏持ちに出くわす大学である。知り合い・友人にそれがいないわけがない。だが、大学の外にいやがったり、私の前では2人一緒にならないとかが多いのだ。これではいじれないではないか。

  今回は時間も限られているし、前回の新選組で書きすぎた感があるため、ここらで締めたい。要は何が言いたいかというと、揶揄えるカップルくださいと。僕を楽しませてくださいと言いたかったのである。

 

 最近なんか色だの恋だのの話ばっかだな。まあ私から政治ネタ抜くとこんなもんなんだけど。たぶん次回もこの手の話。といったところで笑点お開き、また来週のお楽しみ。

 

 

 

新選組の魅力

 前期終わったああああ休みじゃああああ教授が新選組の話してたああああ日野が近いいいい3限なんてしらねええええいったらああああ・・・というテンションで、日野に行って方々回ってきたあそび人だよ。5㎞は歩いたけど、充電少なかったからポケモンGOはやってなかったよ。

 

 子母澤寛の「新選組始末記」以来、新選組は多くの日本人から愛されてきた。「銀魂」、「薄桜鬼」などの作品、新選組研究の大部分がアマチュアによって行われている点などが、それをよく表している。一体新選組の何が、人々をこれほどまでに惹きつけるのだろうか。

 一切の感情を持たず、客観的に新選組を見た場合、嫌うこともないだろうが好きになることもないだろう。「自らの憧れのために活動し、気づけば目的も変わり、ついには時代の流れへの逆行のために滅びていった集団」「武士でないくせに、誰よりも武士らしくし、その結果死に、生き残っても武士らしい末路を迎えた連中」こんな評価が出てくるのではないだろうか。主観を抜きにして考えれば、彼らには何の魅力もない。そういう集団なのだ。

 しかし、私には彼らの、勇ましいとも傲慢とも、あるいは哀れとも見えるその姿が、中々客観的には物事を考えられない人々に魅力的に映るように思える。新選組は、己の感情を交え、合理性をかなぐり捨てて、初めてその魅力を感じることができるのだ。

 新選組のうちに、武士は決して少なくはなかっただろう。しかし、身分による入隊制限がなかったため、それ以外の身分の者がいたことも間違いない。近藤勇土方歳三井上源三郎などは、武士の出ではない。また、武士身分の隊士も、どこかの藩に所属しながらの入隊はできなかったであろうから、全員が浪人だったのではなかろうか。いずれにしても、確実にいえることは、彼ら全員が社会的に大きな影響力を持つ層には属していなかったことである。

 しかし、武士身分の者はもちろんのことだが、近藤や土方なども、農民とはいえ豪農の出であるため、それなりの教育を受けていた。故に、影響力がないゆえにそれを実現させることはできないものの、当時の政治に対する意見は持っていた。彼らがこれに歯がゆさを感じていただろうことは、近藤の道場である試衛館が、当時の道場の例にもれず、ある種のサロンのようになっていたことから、容易に想像がつくだろう。

 そんな彼らにとって、文久3年の「尽忠報国を元にし、公正無二、身体強健、気力壮厳の者、貴賤老少にかかわらずお召寄りにあいなり候」という応募条件での浪士組参加者の募集は、念願をかなえる一世一代のチャンスであった。将軍警護の部隊に参加し、治安の悪い京で薩摩人や長州人を切って名を上げれば、幕臣に取り立ててもらえるかもしれない。そういった期待が彼らのうちに沸いた。彼らが伝通院(浪士組志願者の集合場所とされた寺。筆者は一度だけ訪れたことがあるが、新選組関連のものは、清河八郎の墓くらい)にいかない理由はなかった。

 その後、彼らは諸事情あって江戸に帰る浪士組から離れ、芹沢鴨らと壬生浪士組を結成し、これがのちの新選組になるわけだが、概説は一旦ここで終わりとする。私がここまでで強調したいのは、後に新選組の中核となる、壬生浪士組試衛館派の社会的影響力を持つ存在への憧れである。先述したように、新選組の初期メンバー、つまりこの試衛館派には武士がそれなりにいた。しかし、脱藩しているのがほとんどだったか全員(たぶん全員)であり、これまた先述したように、社会的な影響力はなかった。これからしかし彼らには政治思想が存在し、それを持つ多くの若者同様、心のどこかで、現実のものとするチャンスはないかと考えていたはずである。武士にならねば政治的なことは何もできない。だが、自分たちは武士ではないか、武士でも浪人である。このギャップが、武士、特に幕臣への憧れに変わるのは自然であろう。

 上京後も、試衛館派の武士への憧れは変わらなかった。またそれは、晴れて武士になった後でも変わらなかった。新選組には局中法度として知られる禁令が存在したが、その中にて「士道を背く事」が禁止されている。これはこの手に規則によくある建前か、曖昧な規則を作ることで、処刑をしやすくしようとしたものではないかと思うのだが、どちらにせよ、武士らしくあろうとしていることが窺い知れる。当時の武士の中で、士道に背いていないものがどれだけいるかという話だが、当時の試衛館派の面々にとって武士は、単なる社会的影響力を持つ身分ではなく、英雄的な存在として捉えられていたのである。こうして新選組は、武士以上に武士らしい集団となっていく。しかし彼らが武士を目指し、武士となった時代は、悲しきかなその武士という存在が消える時代でもあったのである。

 その後彼らは、鳥羽伏見、甲州勝沼、宇都宮、会津、函館と転戦し、全てで敗北する(中には「戦術的」には勝利したものも存在する)。そして函館での降伏によって、その姿を歴史から消した。滅びゆくものに縋りついたとみる事も出来るが、滅ぶわかっていても忠義を貫いたとみる人もいる。いずれにせよ、その悲劇的な最期が、彼らの魅力をより引き立てているのは間違いない。

 個人的には、滅びゆくものに縋りついた存在として新選組、いや、試衛館派を見ている。試衛館派に話を限定したのは、鳥羽伏見の敗戦以後、隊からの脱走者が急増したためである。彼らは恐れたのではないだろうか。自分たちが憧れ、信じ続けた武士の消滅を。こう書くと新選組が嫌いなように見えるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、彼らのいじらしさのようなものに魅力を感じる。彼らも、新しい時代が来ることはわかっていたはずである。しかし、自分が信じたもののために、負けるとわかっていても、どうにもならないとわかってもいても戦った。決して格好のよい姿ではない。彼らは忠義といったかもしれないが、そこにあるのは恐怖や不安、エゴイズムに近いものでしかない。それでも、なぜか彼らの存在が放つ哀愁に惹かれ、どうしても新選組と、その中核となった試衛館派を否定することはできないのだ。

 新選組の魅力は大別して2つではないだろうか。武士よりも武士らしくし、忠と勇とを重んじ、最期はそのために散ったはかなさと雄々しさが1つ。そしてもう1つは、憧れのために、それがもはや通用しないとわかっていてもそれに固執し、圧倒的な力と説得力をもってして否定されても、なおも戦うことで自らの正当性を主張した悲しさ、愚かさ。新選組は決して超人ではない。良くも悪くも純粋で真っ直ぐな奴らが率いた、一時の夢だったのである。

 

 くぅ~疲れ(ry なんだこれ、レポートか?いや主観とか憶測がめちゃくちゃはいってるからレポートではないか。文字数2700ってなんだよ。日付変わったよ畜生。ほんとは、新選組における洋式調練の話とかしたかったんだけどできなかったよ。明日面接なのに何やってるんだよおれ。寝ろよ。

 

 

女性諸君は閲覧注意

 学校で、それもすぐ近くに集団がいるってのに、エロネタでブログ更新しようとしているあそび人さんだよ。頭おかしいとかいまさら言わなくても知ってるから大丈夫だよ。もう手遅れだからね、仕方ないね。ちなみに、途中からは時間の都合で家で書いてるよ。

 

 多様化、そしてそれを受容しようとする潮流のなかで、今ではあらゆる趣味趣向が、他に害を及ぼさない限りは肯定されている。フェティシズムも、かつては口にするのも憚られるようなものが、今では別段恥ずかしがらずに、下の会話のなかでひょいと出てくる。

 異性(あるいは同性)を抱く理想的なシチュエーションとはなにか。初めて体を重ねるときには、ムーディーな部屋の中でしっとりとするのがよろしいか。あるいは、敢えてふざけた空気の中で、若々しさを出し切るのも悪くないかもしれない。2度目、3度目はどうであろうか。1度目で感じた羞恥を思い出し、不安を感じながらも体を許すしていく女の様に欲情するのが理想的か、それとも1度目で性に目覚め、自らを求める女を焦らしてやるのがよいだろうか・・・いやまあ童貞だから知らんけども。

 どんな体位がいいだろうか。やはりオーソドックスな正常位だろうか、それとも互いに体を密接させる対面座位か、相手を征服する快感、あるいは征服される快感を覚える後背位や騎乗位だろうか。それらは互いの趣向や、愛の形によって変わるだろう・・・いやまあ童貞だから知らんけども。

 相手はどんな者がいいだろうか。とりあえず女性について述べるが、体形だけでなく、声や反応も重要な要素となるだろう。個人的には、AVやエロアニメの選定においてやはり声を重視する。美しい声で、やや性差別的発言になるかもしれないが、鳴く様は最高に【自主規制】である。・・・いやまあ童貞だから詳しくは知らんけども。

 ほかにも・・・ほかにも・・・

 

 

 

あかん、童貞にできるエロい話なんて大したもんなかった。だってビデオと本とアニメの知識しかないもん。いまだに女性はオナヌーしないって信じてるもん。

 

 エロい話って難しいんだな。チェリーボーイには厳しいもんがあったわ。やっぱりこういう話は頭使わずに思いつきでいうのが一番面白いのかもしんないね。

 さて、明日限りで休みに入るわけだし、次はまた史学ネタと普通でネタで二本立てやるかな。それじゃあ諸君、До свидания.

 

本のお話

 史学ネタは受けが悪いと見たため、それ以外のとっつきやすいネタを書いてみようの会2016。あと、せっかくコメントをね、このサイトのアカウント持ってようが待ってまいがかけるようにしてるんだからね、そろそろだれかコメントしてくれてもいいんじゃないかな(懇願)。なにか恩恵があるのかって?おれが泣いて喜ぶだけだよ。

 

 18年以上生きているわけだが、その長いようで短い期間のうちに、本の収納場所に少し困るくらいには本を買った。当然買ったからには読んでいるわけだが、最近はどうも読書が進まない。書評レポートなるものの執筆を強制されているため、読みたい本よりも、指定されたものを読むことを優先しなければならないのが大きいだろう。

 最近は進んでいないといったが、具体的にはどれくらい滞っているのか。以下の写真が、いまだ読み終わっていない本である。写真投稿機能をようやく見つけたため、はっつけておく。

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あれ、史学関係の話題出さないつもりだったんだけどな。それ関係の本ばっかだな。というか「省察」を読んでないのに保守主義者名乗るのってどうなんだろうな。あと、出したはいいけど撮るの忘れたのが2冊ある。当然のことながら、これも史学関係である(どちらも中世欧州史の本)。

 一応言っておくと、こんなもんばかり読んでいるわけではない。官能小説はさすがにないが、エロ漫画くらいなら何冊か持っている。あと、普通の漫画も何冊かある。ただ、やはり歴史関係と推理小説(主にクリスティ)がほとんどである。今流行りのライトノベルとやらには手を出していない。私みたいなのでも読めそうなのがあるなら、ぜひ教えてほしい。できればコメントで教えてほしい。

 今読んでいるのは、左端の「マルヌの会戦」である。読んでいる理由は、前回の記事を読んでもらえれば、なんとなく察しがつくだろう。(そうだよ、誘導だよ。悪いか?)どん亀ペースで読んでいる+課題図書2つを読まねばならないため、夏の間に読み終わるかどうか。ちなみに、この次は保守主義者の聖書「フランス革命省察」を読もうと思っている。これを読まないとまじもんの保守に怒られるのだ。

 せっかくなので、お薦めの本でも紹介しておこうと思う。特に男性におすすめしたいのだが、「ナイジェル卿の冒険」という本を是非読んでみてほしい。これは、写真にある「白衣の騎士団」の前日談で、ホームズシリーズで有名なコナン・ドイル著作である。ドイルがホームズを書くのにうんざりしていたというのは、それなりに有名な話だが、こちらはドイルが本当に書きたかった作品といわれている。元々彼は、歴史小説を書くことを望んでいたようで、この他にも「マイカ・クラーク」や「勇将ジェラールの回想」などを著している。

 ナイジェルと騎士団は、どちらも英仏百年戦争を舞台としている。さらにいえば、どちらもその前半を舞台としている。であるから、エドワード王やその子黒太子、その他にも当時有名を馳せた多くの騎士たちが登場する。これは、中世史ファンにはたまらないだろう。また当然のことながら、歴史を知らない人でも、単純に冒険活劇としても楽しむことができる作品だ。さすがはドイルといったような痛快さがあるから、アマゾンあたりで検索してぜひ見つけてほしい。

 

 

 

 

 

まあ俺が買っちゃったからもうないのもあるけどね。一応言っておくと、騎士団のほうはラノベテイストにアレンジされたものがあったはずだから、敷居が高いと感じたらそちらを読んでみてもいいかもしれない。

 

 さて、結局史学関係じゃねえかっていうね。あれかな、エロ本の話でもしたほうが良かったかな。正直そっちのほうがふざけられたな。んじゃまあ次回はそれで。